第10回研究大会(2021)発表要旨
- 民間医療における近代医療の在り方:カルカにおける診療所従事者による保健プロモーターの研修とアンケートより
- 岡本年正(慶應義塾大学)
ペルーでは近年、interculturalidad(異文化間性)の視点から、健康について議論され、政策が行われている。政府は、医療において近代医療と民間医療を同等なものとして位置づけ、異文化の相互理解において健康を促進しようとしているが、実際は、近代医療が優勢であり、近代医療による民間医療の包摂がおきている。この近代医療優勢の状況を農村ではどのように理解され受容されているか、アンデス山中の地方都市近郊の小さな町であるクスコ県カルカの診療所従業者と彼らに関わる人々の、近代医療に関わる研修とアンケートから考察していった。診療所従業者はクスコ(地方都市)在住者、研修参加者はカルカ在住者(ほとんどが農民)で、共に民間医療の知識を持ち、民俗病に対する理解や儀礼的な実践を行っていた。一方で、特に研修参加者は近代医療の病気に対する効能を理解し、よりよい近代医療を受容したいと考えている。このことから、病気の症状とその処置は近代医療の範疇となりえても、病気そのもの、特に民俗病に対する観念は民間医療の範疇のままであり、この考え方により農民が近代医療を受け入れられていることが明らかとなった。そこから、農村での健康促進政策は、interculturalidadを称揚するより、近代医療の効果を伝えることが重要であると言える。
- Religiosidad en los Andes peruanos
- Angélica P. de Aoki(Universidad Doshisha)
La fusión de las creencias Cristianas con la adoración y respeto al Dios Sol, y todo lo que conlleva hasta la Pachamama dio lugar a un sincretismo religioso, lo cual se sigue practicando no como una obligación sino más bien como un sentimiento de felicidad, pues a pesar de los años el rito de respeto y cariño a los Apus que habitan en las montañas rodeando a los pueblos cuyos habitantes viven con la confianza de estar protegidos de todo mal junto a sus animales y terrenos de cultivo, dan las gracias a la manera de los ancestros.
Por otro lado las cruces que también están en las montañas cumplen el papel de fortalecedores para que éstas siempre estén firmes aunque haya lluvias día tras día. Y en la fiesta de las Cruces, la gente va hasta el lugar para traerlos en hombros y brindarles ofrendas, hacer un desfile con bandas de músicos para alegrarlos y alegrarse a su vez. Todo ello es una satisfacción espiritual, cumplir todos los festejos del año donde la gente siente unión, come , bebe, canta y baila. Es una devoción intensa que los pueblos andinos lo hacen de generación en generación.
A veces se ve algo de eso en las ciudades grandes también, es que los habitantes de los pueblos llevan consigo tales costumbres. Escuché que en Lima, entre conocidos hacen los cargos (encargarse de llevar a cabo una festividad).
En Japón ya hay la procesión del Señor de los Milagros, aunque solamente es la misa y una pequeña procesión. Yo creo que los peruanos que acuden a estas ceremonias llenan ese vacío que se siente viviendo en lugares ajenos y con una cultura diferente. Quieren encontrar un pedacito de algo que les falta para encontrarse feliz. Este sentimiento no es solamente de los andinos, peruanos. Yo creo que es de todos o de gran parte de latinoamericanos.
- 中央アンデス高地におけるアルパカの改良と有色毛回復プロジェクト:現地調査に向けた課題
- 鳥塚あゆち(関西外国語大学)
南米ラクダ科動物のアルパカは良質の毛をもつ家畜である。とくに、染色が容易である白色毛が国際市場において高値で取り引きされると、ペルーでは1960年代から白色単色毛をもつアルパカへと改良が進められた。この「白色化」の波はアルパカ飼養を担う共同体(Comunidad Campesina)にも及び、クスコ県の牧民共同体でも1990年代後半には改良活動が開始され、政府機関もこれを後押しした。しかしながら、白色化の推進は、同時に有色個体の減少と色の多様性を喪失するという弊害を生んだ。この事態に対し、近年では、有色毛回復への動きがみられるようになった。外部からの変化が遅れて届く共同体では、2017年の時点ではまだ有色毛回復への活動は確認できなかったが、今後何かしらの影響を受けることは容易に想像できる。
市場の需要に応えるかたちで改良を進めた牧民は、群れを「白にする」という選択を何の疑問もなく行ったのだろうか。アンデス牧民社会における家畜の持続的利用のあり方を牧民の在来知から議論することを見据えて、報告では有色毛回復プロジェクトから浮かび上がる問題点を整理した。政府機関や国際組織が主導するプロジェクトでは、生物多様性の保全と生産者の貧困状態の解消をおもな目的とし、有色個体回復のための交配実験・管理、遺伝子バンクの設立、工芸品製作などの支援が進められている。多様な色を残すことは肝要ではあるが、遺伝子の管理や人工授精を共同体主導で行うことは困難であり、生産者の経済状況も市場が変わらなければ有色個体を回復するメリットはない。さらに、牧民は市場原理のみで家畜を飼養していないため、彼らの在来の知恵や家畜との関係についても考慮すべきであると指摘できる。
- 17世紀ペルー副王領のポトシにおける貨幣の偽造とその影響
- 真鍋周三(兵庫県立大学)
17世紀前半のポトシのカサ・デ・モネダ(貨幣鋳造所)では銀貨の偽造(低品位銀貨の製造)が行われた。1640年代のヨーロッパにおいて、ポトシ産の偽造銀貨が見つかり、その使用禁止や回収を命じる布告が現イタリアやフランスなどのいくつかの都市で相次いで出された。一大消費都市として世界的に有名になったポトシ市場に入ってきた舶来品の産出地を辿れば、海外へのポトシ銀貨の流出先がほぼ想定できる。17世紀前半期における歴代のペルー副王はこの銀貨偽造の不正を見過ごしてしまう。1648年になってスペイン国王は検事ネスタレス・マリン(1600-60)を巡察使に任じ、調査・対応のためポトシに派遣。マリンによる調査の結果、銀商人ゴメス・デ・ラ・ロチャ〔1602(1604)- 50〕を中心に複数の銀商人がカサ・デ・モネダのエンサヤドール(試金を司る検査官)をはじめ役員に賄賂を渡し、低品位銀貨の鋳造を奨励していたことが発覚。当時のエンサヤドールはラミレス・デ・アレリャーノらであった。
マリンは、銀商人とカサ・デ・モネダ役員との間に共謀があったことを立証していく。ポトシのコレヒドール(地方行政官)やカサ・デ・モネダの財務官を共謀罪の理由で罷免し投獄。2 名の旧財務官には貨幣偽造の共犯・共謀罪を理由に死刑の判決を下した。1650年、デ・ラ・ロチャは処刑され、翌日、その遺体はポトシの公共広場に吊された。続いてアレリャーノも処刑された。
1650年前後からローダスやエルゲタといった王権側の人物が新エンサヤドールとして登場し対策に乗り出した。新銀貨では刻印のデザインの変更が行われた。銀位の低い既成銀貨への対応策としては溶解し改鋳したり、価値の引き下げが行われた。
- アマゾン下流部都市近郊域におけるサブシステンスの役割
- 石丸香苗(福井県立大学)
ブラジルの高い人口移動率は貧困層によるところが大きく、その原動力は経済格差である。2000年代後半の好景気と教育の浸透により、低所得者層であるDE層(ブラジルの統計地理院による分類)から中間層C層へ上昇した「新中間層」が出現したが、2014年をピークに景気低下が続いており、DE層へ戻った新中間層も多いと推測される。都市の新中間層は収入の減少によってどう移動するのか。都市の労働市場と農村の自家作物生産等の両方にアクセス可能な都市近郊域へ移動すると仮定し、人口変化および都市近郊農村の自家作物生産について調査を行った。
ベレン大都市圏の人口増加率の変化を見ると、GDP成長率がマイナスを示した翌年にベレンと隣接市で人口増加率がマイナスを示した一方、都市近郊域では高い値を示した。また、GDPがマイナス成長から増加に転じた翌年にはベレンでの人口増加率が高い傾向を示した。このことから、経済悪化に伴い都市から都市近郊域への人口移動は生じている可能性が高い。新中間層の社会移動との関係については今後の課題である。
自家作物に関する予備調査では、農地を持つ世帯では一人一食当たり平均80-90kcalのエネルギーを接種しており、自家作物からのカロリー摂取が高い世帯の方が食品購入への支出が少なかった。農地は持たず庭のみの世帯でも多くの畑作物と果樹が確認された。今後、本調査のデータ解析によって自家作物がプル要因になるかを検証予定である。
- ペルー小規模農家のライフコース:首都近郊山岳農村の事例
- 星川真樹(拓殖大学)
ペルー農業は大規模と小規模に二分され、小規模農業の多くは山岳地域で営まれている。しかし、山岳農村では現金収入を得ることが難しく、多くの人が都心に職を求めて集中する二重構造になっている。一方で、大市場に近隣する首都近郊の山岳農村では地形的に隔離されているものの、その農業を維持している地域がある。これまではこの地域の作物選択や首都圏の青果物流通の変化などを取り上げてきたが、今回は地理学的アプローチの一つであるライフコースに注目した。首都に近いことから、職業の選択肢は比較的多い地域であると言え、ペルーの首都近郊山岳農村の小規模農家、各個人がどのような経緯で村での生活や農家という職業を選択してきたのかを社会的状況に照らし合わせて考察した。
その結果、村を出る選択肢は教育環境の不備が主な要因となっており、村の教育環境の改善によって離村時の年齢は上がっていた。1950年代生まれの世代では、一度は首都圏にある製造工場などで職を得た後、1990年代に新自由主義経済の影響などにより勤務地が閉鎖し、村に戻ってきた例も見られた。その時期と単価の高いチリモヤの出荷が安定した時期と重なっている点も興味深い。また、首都圏であるという立地から、兼業農家として週末だけ農業に携わっていた人達が、職をリタイヤしてから農家に転職する事例なども見られ、社会状況の変化や立地が各ライフコース選択に相互に影響していた。
- 新世界表象とヨーロッパ:食人と処刑文化
- 大平秀一(東海大学)
羽毛・裸体・食人・性的乱交は、化物や異様な富の存在等と共に、「発見」以後に形成されていった新世界表象の代表的な要素である。ヨーロッパによる新世界の理解・認識そして表象は、同地域ならびに先住民の扱い・歴史に多大な影響を及ぼしてきた。それらの表象をめぐっては、これまで多様な研究が提示され、その創出性や発明概念が指摘されてきたものの、そのイメージ形成の過程に関する考察・分析は限定的であった。地域表象・異文化表象が消費されるものと考えれば、その表象には、消費される社会において理解可能な要素が伴っているはずである。
本報告では、新世界表象の代表的な要素の一つといってよい「食人」に関して、文書・図像資料に分析を加え、そのイメージの源泉がヨーロッパの処刑文化にあることを指摘した。その処刑方法の中には、処刑前に裸体とされるものや、供物として捧げられる鵞鳥のイメージが踏襲され、身体にタールを塗って羽毛を施して処刑するものもある。また処刑の対象者には、「不自然な性行為」を行った者も多く含まれている。新世界のシンボルとも化した裸体・羽毛そして性的乱交は、秩序・タブーを犯す罪人のシンボルでもあった。したがって、多様なタブーを犯すアメリカ先住民には下等性が付与され、奴隷として所有することが論理的に可能ともなる。
モンテーニュは、『エセー』に収められた「(新世界の)食人種について」の中で、ヨーロッパの処刑文化と新世界の食人を対比し、「私は死んだ人間を食うよりも、生きた人間を食う方がずっと野蛮だと思う」と、隣人や同胞の間におこっている前者の野蛮性・残忍性 を主張している。しかし、その新世界の食人像は、前者を基に形成されたものであり、彼は実質的に同じものを比較していたと考えてよい。
- ブラジル日本移民をめぐる「日本人と先住民の近縁性」言説に関する一考察:第二次世界大戦後の邦字新聞を中心に
- 長尾直洋(名桜大学)
本発表では、1930年代以降のブラジルにおける白人植民者・黒人奴隷・先住民の混淆、混血文化、人種偏見無しという国民統合モデルへの日本移民の接近を試みた香山六郎氏の「日本語・トゥピ語同祖論」に代表される、「日本人と先住民の近縁性」言説の社会的影響力への再評価を行った。第二次世界大戦以前におけるブラジル側・日本側の同言説との関係を踏まえた上で、香山説が積極的に取り上げられた勝ち負け抗争における負組側新聞を調査対象として、主に香山説以外の「近縁性」関連記事を収集、分析した。戦後の日本語新聞再開後、紙上にて散見された「近縁性」記事は、1951年の香山氏による政治的言説としての発信後、その数を増した。戦前ブラジル知識人層による日本移民擁護の政治的言説としての「近縁性」言説の再発信、日本移民社会内における政治的言説としての「近縁性」言説の批判的認識など、当時の負組側言説空間において政治的言説としての「近縁性」言説が一定の社会的影響力を有していたことが明らかとなった。また、当時の日本移民社会の関心事となっていた日本人戦後移住と同言説との関連も示唆された。
- ドラ・マイエル作「セルバのドラマ」(1915):Asociación Pro Indígena のBoletín の使い方
- 加藤隆浩(関西外国語大学)
ペルーではインディヘニスモが社会や政治、文化など様々な側面で多大な影響を与えてきた。しかしながら、その研究の対象となる時期は、主に1921年(ペルー独立100周年)以降であり、その黎明期に関しては、これまで若干の例外を除けば等閑に付されてきた。しかし近年になると、20世紀初頭に活躍した「先住民擁護協会」(Asociación Pro Indígena)、やその構成員であったペドロ・スーレン、ドラ・マイエル等の活動の実態が明らかになり、また長い間。散逸状態にあった擁護協会の幻の機関誌「El Deber Pro Indígena」全51巻がペルー独立200周年を記念して復刻されるなど、新しい研究動向が見られる。この発表では、その機関誌に連載されたドラ・マイエルの戯曲の習作El drama de la selva『セルバの惨事』を分析することで、ドラの先住民観の中で、チュンチョがどのような位置を占めているかを明らかにした。ドラの作中の主張によれば、ペルーのインディオ問題を考える際には、社会をblanco―indio―chuncho 3極構造で検討するのが肝要であるという。こうしたペルーの社会像は、先住民擁護協会以前に、ペルーの作家や文学者の有志が集まり結成した先住民友愛協会(Sociedad Amigos (a) de los Indios)の主張にも見えており、「擁護協会」の主張や活動の戦略を先取りしているように思える。今後の研究課題として、「搾取する者」/「搾取される者」、「都市」/「農村」、、といった2極でペルー社会を捉える見方が、その3極構造をどのように乗り越えようとしたか、また乗り越えられなかったかを検討したい。
